今日、ひとつの交響曲が終わった。

【概況】
 天気晴れのち曇り、一時的に雨。体重64.1kg。
 今日は、『「ベッカムが、BBCのドキュメンタリー形式のインタビュー番組に出演し不倫騒動について激白するつもりである」ことを、英日曜紙ザ・ピープルが報道した』ことを、報道された日です。
 かかりが多すぎて意味不明でごめんなさい。

【朝】
 5時53分起床。7時30分外出。内勤です。

【昼】
 喫茶店で日替わり弁当。

【夜】
 18時30分帰宅。夕食はスープ。入浴。で、コレ書いてます。

【雑記】
 昨日でGWが終わり、またいつもの時間が流れ出しました。そして今日、GWを楽しませてくれた二週間にもわたる一つの交響曲が収束します。
 第一楽章。大事件発生の第一報が流れる。第二報、犠牲者の発生が予想、官邸に対策室設置、飛び交うヘリコプター、しかして、依然全貌は分からぬまま。
 第二楽章。おぼろげながら見え出した全容。現場に向かう関係者。その中で、寝食を忘れ救出に向かう男たちがいた。使えぬ重機、頼りは人力のみ。夜を徹し続く必死の救出活動。だが、膨らみ続ける犠牲者数。涙の遺族。
 第三楽章。やがて、犯人とおぼしきものが浮かび上がる。相次ぐ不用意な発言、不適切な行動の数々。見えない反省。集中する非難。
 第四楽章。けれど、演奏者自身の手で、過度の批判はいかがなものか論が噴出、事件は収束に向かう。美しい。美しすぎる完璧な調べだ。
 そう、いつものことだ。事件の本当の理由、本当の犠牲者、今後の対策はすべておざなりのまま。でも問題は無い。演奏者は、次の、より面白く、もっと楽しい、叩ける、数字の稼げる事件を追いかけなければならないのだから。いや、演奏者とて、すき好んで奏でているとばかりは言えまい。しかし、全ては終わったのだ。もう、この曲を奏でる演奏者はいない。なぜなら聴く観衆がいないのだから。カーテンコールは無いのだから。そう、僕たちは次の曲を期待し、アンコールを求めない。
 今日からまた、電車で揺れる。新型安全装置を乗せなけば再開できないはずのあの電車だ。(宝塚〜尼崎以外は旧型安全装置で何事もなく普通に走っています)。
 普段乗らない一両目で揺られてみる。途切れなく流れるお詫びの車内放送。北新地駅に着く。連なる人々に続き、長いエスカレーターを登る。ディアモールへ続く壁にはベタベタと張られたお詫び文の数々。そして、普段より多い駅員。こみ上げる思い。
 心は馳せる。この交響曲の演奏は昔から何度も聴いた。そして、これからもなんら変わることなく、流れ続くのだろうということを。また、盛り上げ隊、泣かせ隊、叩き隊、収束隊による美しいマッチポンプ交響曲の調べが、とりあえず今日、一つ終わるのだということを。

 今回お亡くなりになった、全ての方のご冥福を心からお祈り申し上げます。